▶A君の日記「メカトロニクスの終焉」(2013/10/7)
また、大きなタイトルであるが民生用の機器のことを書きます。今回も戯言である。最近、周りから機械と呼んでいた物が無くなっていることに気が付く。家庭にある機械式○○と呼べるものを調べてみると、ミシン、時計、洗濯機、掃除機、扇風機くらいである。機械と言えるかわからないが鉛筆削りもそうである。電子レンジも最近はお皿が回らない。家の中に動くものが少ない社会になってきている。
少し前は、カメラ、ビデオデッキ、ビデオカメラ、ラジカセ、レコードプレーヤー等が家庭にはあった。これらは機械部品がたくさん使われていて、機械の動きと音や映像の対応がありより直感的であった。これらは、日本の得意とする精密機械、電子技術、アナログ技術の集大成であったビデオデッキなどに使用されている磁気記録メディアが、ここ10年くらいで姿を消している。主にデジタル化とフラッシュメモリの普及が原因である。某USのりんごマークの会社が妙な機器を作ったおかげでそうなってしまったのであろうか。
アナログ機器はLPレコードやオープンリールなど動作原理がわかりやすい多く、実際触って見ると手で動かしただけで音が出るので初めて見るとちょっとした驚きである。動いている物を見るのは楽しい。江戸時代もからくり人形を作ったり木でいろいろな道具を作っているので、日本人はもともと手先が器用なのであろう。
子供の学校の技術科教科書に出てくる機構(歯車やクランク、カム等)が身近に存在しなくなってきていて教えるほうも大変だと感じる。何でもワンタッチで簡単にできてしまうが、便利であるがそれもどうかと思う。
今の時代はお手軽さと効率を求めているため動作原理がわかる機械はなくなっている。作る側も「機械は壊れるのでメンテナンスが大変だら止めたい」と考えるようになってきているのではないか。これらの製品に携わっていた技術者の大半は定年を迎え現役を退いていると考えられる。機械好きな若いエンジニアは増えているかどうかわからない。
身近にある製品の操作部分はほとんどがタッチパネル化していてボタンやダイヤルスイッチという機械部品で作られたインターフェースが激減してきている。
個人的な感想を言えば、タッチパネルはまだ発展途上なインターフェースで、操作に関するフィードバックが得られず、誤操作の元になる要素が多い。特に小さい画面の場合は顕著である。人間の指の大きさを考えればわかるがタッチパネルは大画面向きのボタン用インターフェースとして開発されたデバイスである。実用なボタンの大きさの例は銀行やコンビニのタッチパネルである。それより小さい場合は専用のスタイラスペンで操作するようになる。
この流れは当分続きそうである。しかし、いつか限界が来て元に戻りそうな気配である。IT関係の人は、いまだにThinkPADの赤いトラックポイントの愛用者が多い。タッチパッドより数倍使いやすく誤操作も少ない。これはProが使う道具である。マウスはもう古いインターフェースという人もいるが、それなりに進化しているのでそうは思わない。誤操作しにくいという点ではマウスやトラックポイントのほうがタッチパッドよりが数段すぐれている。
業務用の機器では操作性や安全性、機能性が求めらているのでデザインが重要になっている高級測定器や産業用機器は美しいデザインをしている。これらは機能美があり電源が入っていない状態でも美しい。
携帯電話もその傾向があり、ボタンがあった頃の製品は細かい部分も作り込みが凄くオブジェとしても美しい。今のスマートフォンは単なる箱で電源を切った状態で博物館に置いてあっても誰も見ないと思う。10徳ナイフのようで「とりあえず何でもできます」という感じである。簡易的に使うには十分であり、今の人もそれで満足しているようである。本格的に使おうとすれば専用の機器にはかなわない。世の中は本当の意味で「重厚長大」から「軽薄短小」になってきている。見た目だけでなく中身も。
2004年に大きな変化がありSONYはPro用テープレコーダーの製造を中止している。2010年にはサポートを終了ということになりSONYのテープレコーダ事業は無くなった。この年は、SONYという会社設立の元になった技術がまた一つ消えた年であった。
やっぱり愚痴になっている。(つづく)
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この物語はフィクションであり、実在するいかなる人物、団体名とも関係ありません。
「A君の日記」の原型は、昔、UNIXのNetNewsでJIP社内に流れていました。
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【出典】
http://wwwd.pikara.ne.jp/c-momo/nikki.html
http://wwwd.pikara.ne.jp/c-momo/nikki3.html

最近、メタバースなるものが出てきましたが、「メカトロニクスの終焉」は、この布石だったような気がします。効率とか便利さを追求するとこうなってしまうのでしょうかね。終いには、食事も面倒くさいので栄養を凝縮した薬のようなものを飲むだけで生きていけるようになるかもしれませんね。でも、それって人の楽しみを奪ってしまっていませんかね。アリストテレスは、人間が目指すものの終着点は、幸福だと言っていますが、それを忘れて便利さだけを追求するのはいかがなものかと感じます。
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